「新卒28万円、ベテラン26万円。先日、ベテランから『なんで俺より新人の方が高いんですか』と言われて、言葉が出なかった」――2026年4月、ある中小製造業の採用担当者から聞いた話だ。
採用競争に勝つために初任給を上げた。それは正しい判断だった。しかし、その判断が”採用に強い会社が、定着で弱くなる”という新たな矛盾を生んでいる。
帝国データバンクの2026年2月調査では、67.5%の企業が初任給を引き上げている。平均引き上げ額は9,462円と過去最高。一方で、新卒給与が中堅社員を上回る「給与逆転」に対して、87.5%の社員が不公平を感じ、72.2%が転職を検討すると答えた(経営プロ調査)。
これは局所的な不満ではなく、経営判断ひとつで採用と定着の両方を同時に壊しうる構造的な問題だ。本記事は、現役のRPO実務家×国家資格キャリアコンサルタントの立場から、中小企業の採用担当者が「給与逆転で中堅が辞める」を止めるための、現状把握→経営合意→賃金体系再設計の3段階の実装手順と、よくある誤解、診断チェックリストまで一気通貫で整理する。
数字で見る「給与逆転」の現在地――2026年4月時点のリアル
帝国データバンクの最新調査(2026年2月)によれば、2026年4月入社の新卒に対し初任給を前年度から引き上げた企業は67.5%。前年の71.0%からわずかに低下したものの、依然として7割近い企業が引き上げを続けている。平均引き上げ額は9,462円と、調査開始以来の過去最高水準だ。
特に2025年度の実績では、初任給30万円以上を提示した企業が130社以上と、前年の58社から2倍超に急増。大手では月40万円超のオファーも珍しくなくなっている。
問題はこの引き上げが「新卒だけ」で起きていることだ。中小企業の多くは、既存社員の給与をそこまで引き上げる体力がない。結果、入社3〜5年目の社員が「自分より若い人間に給与で負ける」状況が、いま全国で同時多発している。
経営プロの調査では、新卒社員の方が給与が高くなった場合に87.5%が「不公平」と感じ、72.2%が「転職を検討する」と回答。不満理由のトップは「経験年数が違う」(63.3%)で、続いて「自分達の給与が上がらない」(49.2%)、「会社への貢献度が違う」(47.7%)。要するに、既存社員が怒っているのは金額そのものではなく、「自分の経験と貢献が正しく評価されていない」というシグナルだ。
給与逆転が引き起こす5段階の離職ドミノ
採用担当者として最も恐れるべきは、次のシナリオだ。
| Stage | 起きること |
|---|---|
| ① | 採用競争力のために初任給を引き上げる |
| ② | 既存社員の給与調整が追いつかず、3〜5年目を中心に逆転が発生 |
| ③ | 中堅・ベテランが「評価されない会社」と判断し、転職市場に流れる |
| ④ | 現場の指導力が落ち、新卒の定着率も同時に下がる |
| ⑤ | 翌年の採用でも「入れ替わりが激しい会社」と評判が立ち、応募数が減る |
つまり、初任給を上げた結果、採用と定着の両方を同時に失う。これが給与逆転の本当のリスクだ。中堅が抜けると新卒の指導が薄くなり、新卒の早期離職率が跳ね上がる――この負の連鎖は、データでも現場でも繰り返し観測されている。
自社診断チェックリスト:「給与逆転リスク」を10項目で見極める
該当数で診断する。6個以上該当する企業は、来春までに賃金体系の再設計に着手すべきだ。
- 直近2年間で、新卒初任給を月額1万円以上引き上げた
- 既存社員のベースアップ率が、初任給の引き上げ率を下回っている
- 入社3〜5年目の社員の基本給を、新卒初任給と並べて比較したことがない
- 中堅社員(3〜7年目)の離職率が、過去2年間で2ポイント以上上昇した
- 退職時のヒアリングで「給与に対する不満」を理由に挙げた社員が直近1年で3名以上いた
- 賃金テーブルが過去5年以上見直されていない
- 賃金体系の主担当が「総務・社長直轄」で、採用担当が数字を持っていない
- 等級制度(ジョブグレード)が形骸化している、もしくは存在しない
- 入社年次別の基本給分布データが社内に整理されていない
- 新卒に提示する初任給の根拠を、既存社員に説明できない
中小企業が陥る「賃金設計の罠」――なぜ初任給だけ上がると壊れるのか
「じゃあ既存社員も全員上げればいい」と言いたくなるが、中小企業ではそう単純ではない。帝国データバンクの調査では、小規模企業(従業員20人以下)の初任給引き上げ実施率は50.0%と、中小企業(68.2%)や大企業(65.6%)を大きく下回る。「上げたい気持ちはあっても、収益が伸び悩むなかで人件費だけ増やせない」という声がリアルだ。
問題は、これが「上げる/上げない」の二択ではないことだ。多くの中小企業が陥るのは、「初任給だけを急いで上げ、賃金体系の見直しが後回しになる」という罠である。20〜30年かけて積み上げてきた賃金テーブルはそのままに、入口の数字だけを上げる。すると、テーブル上のキャリアラインと実際の給与水準がずれ始め、3年後・5年後に必ず逆転ポイントが生まれる。
これはミスではなく構造上の必然だ。賃金体系の再設計を伴わない初任給引き上げは、時限爆弾を仕込んでいるに等しい。
賃金体系再設計のマトリクス:ベアセット型 vs ジョブグレード型
中小企業が選びうるアプローチを整理した。
| ベアセット型 | ジョブグレード型 | |
|---|---|---|
| 必要な体力 | 中(初年度の人件費が3〜8%増) | 大(制度設計に半年〜1年) |
| 着手の早さ | 翌年度から開始可能 | 設計・社内合意に時間 |
| 公平感の納得度 | 一律ベアの違和感は残る | 「役割で給与」と説明可能 |
| 逆転再発リスク | 数年後に再逆転の可能性 | 等級ごとに上限・下限が明確 |
| 代表事例 | 伊藤忠、大和ハウス | 多くの中堅・大手SIer・製造業が移行中 |
| 中小推奨 | 初手としてはこちら | ベアセット導入後の3年プラン |
両者は二者択一ではなく、初年度=ベアセット、3年計画=ジョブグレード移行というロードマップで組み合わせるのが現実的だ。
給与以外で戦う――中小企業の3つの採用競争力
初任給のレースで大手に勝てない中小企業が、採用に強くなるための根本転換がある。「給与以外の価値」を採用競争力として明文化することだ。
ランドスタッドの「ワークモニター2026」では、求職者が重視する要素として給与と並んで「ワークライフバランス」「自律性」「成長機会」が上位に挙がる。特に若い世代では、給与の絶対額より「この会社でどう成長できるか」への関心が高い。
中小企業の3つの構造的な強みを、採用メッセージとして整理する。
- 意思決定の速さ × 仕事の幅:若手でも経営に近い距離で大きな案件を任せられる。「3年でPL責任を持つ」が現実的に提示できる。
- 早期昇給の余地:賃金テーブルが固定的でなく、実績次第で年収を200万円単位で動かせる柔軟性がある。
- 働き方のオーダーメイド:フルリモート、時短、副業可、勤務地選択など、大手の制度より柔軟に個別最適できる。
これらを「初任給が低い理由の言い訳」として語るのではなく、「うちで働く意味」として正面から打ち出す。給与以外で戦う採用設計が、給与逆転を抑える根本対策にもなる。
採用担当者が今週できる5つのアクション
短期で動けることを、優先度順に整理した。
| 期間 | アクション |
|---|---|
| 今週中 | 入社年次別の基本給分布表を作成。新卒〜5年目までを縦に並べ、逆転ポイントを特定 |
| 今月中 | 来年新卒の提示初任給と、3年目・5年目の現給与を比較したレポートを経営層へ共有 |
| 3カ月以内 | 経営合意を取り、ベアセットの試算を人事と作る(既存社員平均X%ベア) |
| 半年以内 | 求人原稿・面接トークに「給与以外の3つの強み」を明記。CTAを「給与」から「成長機会」に転換 |
| 1年以内 | 賃金テーブル全体の見直しに着手。ジョブグレード制への段階移行プラン策定 |
よくある誤解とFAQ
Q1. 初任給を上げないという選択肢は、もう取れないのか?
A. 業界平均より2万円以上低い場合は応募ゼロになるので、最低ラインは合わせる必要がある。ただし「30万円超え」を追う必要はない。重要なのは初任給の絶対額ではなく、「初任給と中堅給与のバランス」だ。
Q2. ベアセットは中小企業には重すぎないか?
A. 全社平均6%ベア=人件費が約6%増。これを「コストアップ」ではなく「離職防止=採用コスト圧縮」として再計算すると、エージェント手数料1名分(150〜200万円)で十数名分のベア原資になる。
Q3. 中堅社員から「給料を上げて」と言われたらどう対応すべきか?
A. 単発の昇給で済ませるとモグラ叩きになる。代わりに「半年以内に賃金体系を見直す」と期限付きで宣言し、経営に動かしていく。一人を上げると周囲の不満が連鎖するので注意。
Q4. ジョブグレード制は中小(従業員50〜100名)でも導入できるか?
A. できる。ただし「制度を導入してから運用」ではなく、「等級5〜7段階の仮設計」を1カ月で作って、運用しながら半年で精度を上げるのが中小規模には合う。
Q5. 採用担当が一人しかいないが、賃金体系まで踏み込めるのか?
A. 賃金体系を「設計する」のは人事・経営の仕事。採用担当の仕事は、給与逆転の現状をデータで見える化し、経営に意思決定を迫ること。データが揃えば動かせる。
まとめ:初任給を上げる前に、辞めない仕組みを作る
2026年の中小企業にとって、初任給引き上げは避けられない経営判断だ。だが、それを単独で実施した瞬間、3〜5年目の中堅が抜けて、現場の指導力と定着率が同時に崩れる。
採用担当者の役割は、賃金テーブルを設計することではない。「逆転ポイントを可視化し、経営に意思決定を迫ること」だ。データを持たないまま「上げてください」と訴えても通らない。だが、入社年次別の基本給分布表を1枚出せば、経営層も動かざるを得ない。
そして、給与で戦えない中小企業は、「成長機会×意思決定の速さ×働き方の柔軟性」という3つの強みを採用メッセージの中心に据え直す。これが2026年以降の採用ブランディングの基盤になる。
「初任給を上げる」を「辞めない仕組みを作る」に書き換えること。これが、給与逆転時代を生き残る中小企業の採用判断だ。
より深く読みたい方へ
本記事の元になった現場視点の記事をnoteで公開しています。
▶ note原文「初任給を上げたら中堅が辞めた──給与逆転が採用を壊す前に知っておくべきこと」(合同会社Via Nova)
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著者: 榊哲也(合同会社Via Nova 代表、国家資格キャリアコンサルタント)
大手人材企業出身。中小企業向けRPO・Indeed運用・求人原稿作成を実務担当。48個のClaudeスキルを駆使し、書類選考工数を週8〜10h→週2〜3h、求人原稿作成90分→15〜20分に短縮。1人運用で月150〜200社のBtoBアプローチを実装。





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